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歴史・こぼれ話

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歴史・こぼれ話

青木医院は、昭和9年、祖父〈青木伸〉がこの地に青木医院を開院して以来、74年間地域の皆様方に支えていただきながら、地域医療を担ってまいりました。昭和44年に父〈青木康〉が継承し、昭和46年鉄筋3階建てに建て替えられました。昨年より改修工事を行い、この4月より新しい青木医院として再出発致しました。

 

戦前は、西大路通りも狭く、周辺は芹田ばかりで、医療機関もほとんどなかったようです。祖父は、自転車でほぼ下京区内全域に往診していたといいます。今だに、『おじいさん先生には、よく往診してもらったもんじゃ。』とお声を掛けて頂きます。父は、京都府立医大を卒業後、産婦人科医となり大学や第一日赤病院で勤務した後、青木医院を継承しました。父は、過剰な医療や検査をしないことをモットーとし、『手術で寿命は短くなっても長くなることはない』『この世に本当に効く薬は、抗生物質とステロイドだけである』『風邪に効く薬などありゃせん』とよく言っていました。私自身、小児喘息持ちでしたが、『ぜんそくは、薬の過剰で死ぬことはあっても、ぜんそくそのものでは決して死なない』と薬をほとんど使ってくれませんでした。

 

父は、平成13年のゴールデンウィークに体調を崩し、たった半年で亡くなりました。病気は、食道がんで、父の考え通り、手術と化学療法はあまり功を奏さなかったようです。当時、私自身は、大阪の北野病院に勤務していましたが、ちょうど手術が面白くなってきた頃であり、全面的に継承する踏ん切りがつきませんでした。形式的には、私が青木医院を継承したのですが、実際には週に2日だけ診療し、その他の日は、母が診療してくれていました。

 

私が、脳外科を志した平成4年頃は、脳外科の疾患で手術しても良くなる方は、ほんの少数で、逆に悪くなる患者さんが多かったように思います。しかし、この十数年で、特に脳外科の分野は格段に進歩したと感じます。手術や検査などの合併症が極端に少なくなり、エビデンスと呼ばれる統計学的なデータが蓄積され、ほとんどの患者さんは、高度な治療の恩恵を受けられるようになったと実感します。例外はありますが、現在の医療では、予防的手術や治療は、患者さんに統計学的利益が得られることが前提で行われることが普通です。つまり、発症してから治療するよりも明らかに有利なのです。一人でも多くの患者さんが、このような恩恵を受けられるようにとの考えが、勤務医を辞めて、開業に専念する決心をした最大の動機です。

2008年3月  青木 淳

昭和29年頃の青木医院

22年間この青木医院で、祖父 青木 伸 が診療していました。

昭和29年〜昭和46年の青木医院

昭和38年に父が開業医になってからは、父が診療していました。

昭和46年〜平成20年の青木医院

37年間、地域のみなさまのご健康に貢献できるように診療を続けてきました。

現在の青木医院

平成20年に改装工事が終了して、新しい青木医院がスタートしました。

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